ログインエルフの女性に案内されて、辿り着いた鹿の角亭は多くの人で賑わっていた。
「おや、エリア達じゃないか? 久しぶりだね。今日はお客を連れて来てくれたのかい?」
カウンターで宿の女将さんらしき人に声を掛けられる。なるほど、あのエルフの女性はエリアというのかと分かった。
「うん、ちょっと色々ね。結構人数いるけど空いている席はあるかな? それと宿泊する子がいるから部屋は空いてる? そこ予約しておいてくれる?」
「ああ、すぐに案内するよ」
給仕の女性が案内してくれて、カリナ達はテーブル席に座った。カリナの右隣にはヤコフが腰掛け、左側からエリアというエルフ、魔法使いの女性、スカウトの青年、重戦士の男が座った。
「さて、落ち着いたところで自己紹介といこうかしら? 私はエリア、このシルバーウイングのギルドの副団長を務めているわ。一応剣士ね、よろしく」
エリアというエルフの女性が先に名乗った。黒髪でセンターで左右に分けたロングヘア、綺麗な翠眼をしている。身に付けている装備は軽装で、レザーアーマーに腰には長剣を帯びている。外は暗くなっていたのでそこまで特徴は掴めなかったが、明るい店内に来たので、カリナは彼らの外見的特徴をしっかりと把握できた。
「俺はロックだ。見ての通りスカウトをやっている。罠解除やトラップ探知は俺の得意分野だ、よろしく」
頭にスカーフを巻き、短めの金髪をしている。見た感じ軽そうな雰囲気の青年だが、愛想よく挨拶をするその姿勢には好感が持てた。スカウトらしく身軽さを身上にするため、軽いジャケットと黒いズボン、腰には二本の短剣を装備している。
「じゃあ次は俺だ。名前はアベル、見ての通りの力特化型の戦士だ。武器はこの背中のバトルアクス。よろしくな、お嬢ちゃん達」
赤茶色の短く揃えた髪をした、強面の屈強な男である。体には全身を覆うプレートメイル、武器は見た目通り威力がありそうな戦斧である。一見堅物そうだが、物腰は柔らかく、兄貴分といった印象だ。
「最後は私ね。セリナ、魔法使いよ。それにしてもこんな美少女が冒険者をやっているなんて、はぁ、その綺麗な肌をつんつんしたい……」
何やら不穏な発言が聞えたが、敢えてスルーする。エメラルドグリーンの髪は肩までの長さで、青いローブを着ている。耳にはリングの形をした大きなピアスをしており、お洒落な印象だ。テーブルには長い杖が立てかけられているので、これが彼女の武器だろう。
「私はカリナという。これでも一応Bランクの冒険者資格を持っている。今はエデン王国のカシュー王からの任務でルミナス聖光国に向かう途中にこの街で一泊する予定だったんだが、この子がぶつかって来て事情を聞いたからには放置することはできないと思った。多少の道草も旅の醍醐味だからな。因みに召喚士で魔法剣士でもある」
悪魔が関わっているという可能性を口に出すのはやめておいた。いらぬ混乱を招くことにもなりかねない。
「エデンの任務?! ってことはカシュー陛下と近しい関係なのかしら。それにしてもこんな少女が任務に就くなんて本当に相当な実力の持ち主なのね……」
「まあ、それは明日のダンジョン探索でわかる。今はその程度くらいしか私の情報はないよ」
カリナはそう言ってはぐらかした。国の任務を一般人に詳しく説明する訳にもいかない。
「ぼ、僕はヤコフです……。両親のために態々ありがとうございます」
最後にヤコフが自分の名前を言った。この少年にしてみれば居酒屋の様な場所に連れて来られた上に、大人達に囲まれているのだから居心地が悪いのかもしれないし、緊張もあるだろう。
「心配するな、ヤコフ。お前のことは私がちゃんと守ってやるからな」
そう言ってカリナはヤコフの黒髪を撫でてやった。安心したのか、彼はもう泣き止んでいたが目はまだ赤いままだった。
「その子の両親はかなりの使い手よ。それが行方不明なんて不慮の何かが起きたのかもね……。でも安心して、私達シルバーウイングはAランクのギルドなの、これで全員って訳じゃないけど、明日は首を突っ込んだ以上私達だけで同行するわ」
エリアがそう言って胸を張った。なるほど、模擬戦でボコしたあの雑魚Bランクの冒険者達よりは遥かに頼りになるかもしれない。そう思い、カリナは少し安心した。
「それにしても、いきなり死者の迷宮に連れて行ってくれなんて言われてよくカリナちゃんは引き受けたもんだな」
ロックがそんなことを言った。確かに普通に見ればカリナにとっては何のメリットもない話である。
「何でだ? 困っている者がいれば手を差し伸べる。それがある程度の力を手にしたものの責務だろう?」
カリナは平然と言ってのけた。それが如何に崇高な理想であるのか、理解はできても実行に移す者は少ないのが世の中である。
「すごいな、だが素晴らしい理想論ではある。では俺もその理想に乗らせてもらう。ここで会ったのも何かの縁だしな」
アベルはカリナの言葉に心を打たれたようだった。彼にしてみれば、カリナのような少女が口にできることではないと思えたが、それを可能にする力が彼女にはあるのだろうと感じられたからである。
「ええ、すごいわ。こんな美少女なのに、まるで正義感の塊の様な高潔さ……。ああ、その綺麗な髪をクンクンしたい……」
「やめなさいセリナ」
隣に座っているエリアがセリナの頭にチョップをかました。「うぎゃっ」と言ってセリナはテーブルに額をぶつけた。
カリナは何だか妙な危機感を覚えた。セリナの視線はまるで情欲を孕んでいるかのように見えるからである。
「そいつは大丈夫なのか……?」
心配になってエリアに尋ねる。
「ああ、可愛いものに目が無くてね。大丈夫よ、ちゃんと見張っておくから」
「ああ、頼む。さっきから此方を見る目が獣の様でちょっと怖い……」
可愛いものが好きというレベルではないように感じられる。身の危険を感じるレベルである。カリナは少々寒気を感じたので、持って来たコートを羽織った。
「はっはっは! セリナは相変わらずだな。まあそこまでの変態じゃないから気にしないでくれ」
「まあ、冒険中は真面目にやってくれる。これでもそれなりの魔法使いだからな」
ロックとアベルが仕方なくといった感じで庇うので、カリナもこれ以上追及することはやめることにした。
「エリア、いい加減に何か注文してくれないかい? ここはお店なんだよ」
カウンターの奥から女将さんがやって来て声を掛けて来た。確かに注文もしないのは失礼だったと、一同は謝罪した。それから各々好きなものを頼み、料理や飲み物を楽しんだ。
「酒は飲まないのか?」というカリナの問いに対して、彼らは冒険の前日には体調管理のために飲まないことにしているという。カリナはその姿勢に、ある意味冒険者としてのプロフェッショナルな流儀を感じた。
「お前達なら信頼できそうだ」
カリナは小さく呟いたが、盛り上がっている彼らの耳には届かなかった。支払いは自分ですると言ったカリナだが、子供に払わせるわけにはいかないと、エリアが頑として譲らなかったので、奢ってもらうことになった。
夜も遅くなってきたのでお開きとなったが、ヤコフをどうするかということが問題になった。こんなに遅くに子供独りで家に帰らせる訳にもいかない。それに帰宅しても両親がいないのは孤独であるだろう。一行がどうしようかと試行錯誤していたとき、カリナが口を開いた。
「ではヤコフ、今日は私と一緒にここに泊まるとしよう。それなら寂しくはないだろう?」
「うん、でもいいの? カリナお姉ちゃん……」
「ああ、構わないぞ。今のお前を独りにする方が心配になる。私の部屋に一緒に泊まるとしよう」
その言葉にセリナ一人が騒然となる。
「ええええっ! 少年と美少女が同じ宿に泊まるなんて! な、なんて危険な、いや、背徳的な、ふぎゃっ!」
騒ぐセリナの頭にエリアのげんこつがヒットした。
「アンタ以外は誰もそんな不純な気持ちで見てないわよ! わかったわ、じゃあヤコフ君をお願いね、カリナちゃん。明日は街の広場の時計台の下で、そうね、こっちも準備とかあるから10時に集合しましょう。また明日ね」
「ああ、広場の時計台だな。わかった、じゃあお休み」
「皆さんありがとうございました」
ヤコフも深々と頭を下げた。シルバーウイングの面々がその頭をよしよしと撫でる。そうしてその日はお開きになった。
◆◆◆ 宿の浴場を使わせてもらい、身綺麗にしたところでルナフレアから渡された寝間着に着替える。薄手の白いワンピースのような部屋着で、少々セクシー過ぎやしないだろうかとカリナは思った。長い髪を乾かしてからベッドに横になってアイテムボックスの中身を整理していると、ヤコフも男子浴場から上がって来た。宿で用意されていた寝間着を着せてやり、タオルで頭を拭いてやる。
「偉いな、ちゃんと一人で洗えたのか?」
「うん、お父さんやお母さんから自分のことは何でも自分できるようになりなさいって、いつも言われてるから」
「そうか、さぞかし立派な両親なのだな」
「うん……。でも帰って来ない……」
ぐすぐすと泣き始めたヤコフにカリナは困ったが、こういう時はルナフレアの姿勢を真似ようと思い立った。
エリアが取ってくれた部屋にはベッドが二つ置いてあったが、この状態のヤコフを独りで寝かせるのは忍びないと思った。自分のベッドに入り、片手で掛け布団を広げる。
「一緒に寝よう、ヤコフ。それでお前の寂しさが少しでも紛れるのならだけどな」
「うん、ありがとうカリナお姉ちゃん……」
自分の枕を持って来たヤコフを招き入れると、カリナはヤコフを優しく抱き締めてやった。これが両親の代わりになるとは思わなかったが、この少年の不安を少しでも和らげてやりたくなったのである。
カリナの柔らかい身体に抱き着いたまま泣いていたヤコフだったが、やがて規則正しい寝息を立て始めた。どうやら安心してくれたらしいと思ったカリナは、自分もかなり疲れていたため、そのまま二人で眠りに落ちた。
恐らくルナフレアならこうしてくれただろうと思ったカリナの行動で、ヤコフは安らかな睡眠を3日振りに取ることができたのだった。
◆◆◆ 翌朝目覚めると、ヤコフはもう既に起きて着替え始めていた。寝惚けながらカリナが身を起こすと、薄手のワンピースの様な寝間着の肩紐がずれて乳房が露わになった。それを見たヤコフが見てはいけないものを見たと、恥ずかしくなって目を逸らした。「おはよう、ヤコフ。よく眠れたか? ってどうした?」
「カリナお姉ちゃん胸が出てる!」
そう言われて下を見下ろすと、肩紐がズレて乳房がモロ出しになっていたので、慌てて着衣を整えた。年端もいかない少年に妙な性癖を与えてしまったのではないかと心配になったが、ヤコフはその後は普通にしていた。
「私は着替えるのに時間がかかるから、先に下に行って好きなものを朝食に頼むといい」
「うん、じゃあ先に行っておくね」
ヤコフを見送ってから、これまでにメイド隊から渡された衣装を見比べ、良さげなものを身に付ける。未だにブラジャーの着け方が難しくて苦戦する。
そうして何とか着替え終えると階下の食堂に降りて女将に朝食を頼み、ヤコフと一緒に食べた。簡単な洋食のセットだったが、空腹の腹に染み込んでいくように感じた。コーヒーを飲みながら、備えられている新聞に目を通すと、ヤコフの両親が行方不明になっていることが大きく記事にされていた。これはヤコフに見られない方が良いだろうと思い、新聞紙を折り畳んだ。
宿の料金は既にエリアが前払いをしておいたらしく、カリナはまたしても借りを作ってしまったことを悔いた。だが、彼女なりの善意なのだろうと思い、ありがたく受け取っておくことにした。
まだ集合の時間には間がある。その前に何かしらやるべきことはないだろうかと頭を巡らせる。そして宿の女将に近くの防具屋を教えてもらい、ヤコフと一緒に向かうことにした。
「世話になった。ではまた機会があれば寄らせてもらうよ」
「ありがとうございました」
「あいよ、お嬢ちゃん達も気を付けて行ってらっしゃい」
挨拶を済ませて宿を出ると、近くの教えて貰った防具屋へと向かう。
「カリナお姉ちゃん、どこに行くの?」
「今の普段着の格好だと、いざと言う時に怪我をするかもしれないからな。ヤコフに似合う防具を少し買いに行くぞ」
そう言ってカリナはヤコフの手を握って歩き出した。街の住人達は宿から出て来たゴスロリチックな衣装を纏った気品ある美少女に目を奪われた。「どこぞの御令嬢か?」「それにしても美人だな」「あれは弟か? あんな綺麗な姉がいるとか勝ち組だな」などと噂が流れたが、カリナ自身はそんなことを知る由もなかった。
疲労で仰向けに倒れ込んだカリナは、まだ明るい空を見上げていた。VAOがゲームのときは、その中でいくら身体を動かしても、実際には現実の身体を動かしてはいない。そのため、長時間のプレイで精神的に疲れることがあっても肉体に疲労感を感じることなどなかった。しかし、今のこの世界は現実世界と何ら変わりない。身体に感じる疲労感がそのことを物語っていた。「長時間の戦闘には気を付けないといけないな……」 危険な攻撃を躱す瞬間に擦り減る神経。接触した際に響く衝撃。敵を斬り裂き、殴り飛ばす時に感じるリアルな感触。どれもが僅かだが、少しずつ疲労を蓄積させる。ゲーム内でのステータスは今は見えないが、これまでに鍛え抜いた力があるだけに、現実世界で急激な運動をしたとき程の負担がある訳ではないが、ある程度の自分の限界は見定めておくべきだと思うのだった。 深呼吸をしてから、ゆっくりと立ち上がる。身に纏っていた聖衣が解除され、ペガサスの姿に戻る。同時に二対の黄金の剣に姿を変えていた蟹のプレセペも元の姿に戻った。「ご苦労だったなお前達、また力を貸してくれ」 ペガサスの頭と巨大な蟹の甲羅の背中を撫でる。「所詮は伯爵レベルよな。我の力があれば主も余裕であっただろう。では次の機会を楽しみにしているぞ」 大口を叩く巨蟹のプレセペ。二体の召喚獣は光の粒子に包まれて消えていった。その光が空へ向けて霧散していくのを見守っていると、魔物の討伐を終えたワルキューレの姉妹達が、カリナの下へ集結して来た。「主様、討伐完了致しました。目に着いた怪我人も我々が治療しておきました。燃えていた建物も、ミストの水魔法で消火済みです」 その場に跪いたヒルダが報告する。「そうか、よくやってくれた。感謝する。ありがとう。お前達の御陰で被害は少なくて済んだみたいだな」「私達を即座に現場に送り込んだ主様の判断の御陰ですよ。私達はただ任務を熟したに過ぎません」 黒髪のロングヘアが美しいカーラが答える。「それに私達にはそれぞれ得意な属性があります。それを上手く分担したまでですよ」 金髪のエイルが胸を張った。 ワルキューレまたはヴァルキュリャ、ヴァルキリー「戦死者を選ぶもの」の意は、北欧神話で戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性、及びその軍団のことである。 北欧神話において、ワルキューレは多数存在
悪魔が炎によって燃え尽きたのを見届けると、カリナはカシューに連絡を取った。「聞こえていたか、カシュー?」「うん、どうやら色々と考察する余地がありそうだね」 イヤホンの向こうから、真剣なカシューの声が聞こえる。「先ずは奴の言っていたことが気にかかる。近くの街はチェスターだ。情報通りならそこに悪魔が向かっていることになる。私は急いで戻る。そっちからも援軍を出してくれないか?」「わかった、戦車部隊に戦力を乗せて全速力で向かわせるよ。それなりの距離だから間に合うか微妙だけどね」「頼んだ。とりあえず一旦切るぞ」「了解、また何かあればよろしく」 カシューの返答を聞いてから、左耳のイヤホンに注いでいた魔力を切った。急いで街に戻らなければならない。意識を切り替えて、真眼と魔眼の効果を解除した。聖衣が身体から外れて、黄金の獅子のカイザーの姿へと戻る。「お見事でした、我が主よ」「いや、お前の力がなければ危なかったよ。ありがとう、また呼んだときは頼んだぞ。ゆっくり休んでくれ」 光の粒子になってカイザーは消えていった。そして湖の中から自動回復した黒騎士達が戻って来た。ヤコフの両親を運ぶのはこの騎士達に任せるとするかと考えていたとき、背後からシルバーウイングの面々が押しかけて来た。「やったな、まさか本当に悪魔を斃してしまうとは」「ああ、すげーぜ! こっちまで興奮してきた」 アベルとロックは単独で悪魔を撃破した少女に称賛の言葉を贈る。「ええ、召喚術ってすごいのね。しかもあの召喚獣を身に纏う戦い方なんて初めて目にしたわ」「しかも結局格闘術だけで押し切ってしまいましたね。魔法剣を使うまでもなかったということでしょうか?」 エリアとセリナも興奮が抑えきれないのか、矢継ぎ早に話しかけて来る。「あれは聖衣という召喚獣の力をその身に纏う鉄壁の鎧だ。あらゆる能力が著しく向上する私の奥の手だよ。召喚獣との信頼関係がないと身に纏うことはできないけどな」 剣を使わなかったのは、格闘術だけでどこまでやれるかという実験でもあった。生身の拳では致命傷は与えられなかったが、それなりに戦えることがわかっただけでも、カリナにとっては大きな収穫になった。「そうだ、ヤコフの両親の容態はどうなってる?」「出来る限りの治療はしたから一命は取り留めたわ。でもまだ意識
カリナの格闘術の一撃で怯んだ悪魔侯爵イペス・ヘッジナだったが、すぐさま体勢を立て直し、身体から黒い炎を撒き散らしながらカリナへと突進して来た。「おのれ、小娘がっ!」 振るった大鎌が空を斬る。カリナは大振りな悪魔の攻撃に意識を集中させ、瞬歩で即座に距離を取る。そこに生まれた一瞬の隙の間に懐に飛び込み、右拳での一撃をどてっ腹の中心部に撃ち込んだ。格闘術、烈衝拳。土属性の魔力を纏った、まるで鋼鉄の様に硬化された拳の一撃。悪魔の赤黒い鎧に僅かに亀裂が走る。 カリナは召喚術が実装されるまでは基本的に剣術と格闘術を中心に熟練度を上げていた。そこへ剣技の威力を上げるために魔法を習得した。魔法剣の習得は魔力の底上げとなった。それの副次効果で、魔力を帯びた特殊な格闘術の技能も全般的に威力を向上させることに成功したのである。「がはっ、何だ……? この威力は?!」「だから言っただろう。小突いただけだとな」「小癪なっ!」 力任せの大振りの鎌を瞬歩を使用して紙一重で躱す。そのまま一気に巨体の股の下を潜り抜けて後ろを取ると、背後から風の魔力を纏った左脚での回し蹴りを見舞った。格闘術、烈風脚。悪魔の背にある翼の付け根に繰り出した蹴りが撃ち込まれる。「がああっ!」 竜巻の如き強烈な蹴りに悪魔は仰け反るが、すぐさま持ち直し、黒炎を撒き散らしながら突進して来る。 イペスの攻撃は大振りで読み易いということを既にカリナは見抜いている。しかし、それでもその巨体から繰り出される攻撃は異常な破壊力を秘めており、一撃でもまともに喰らえばかなりのダメージを負うだろう。最悪骨の数本は持っていかれる。一撃も貰うわけにはいかない。スレスレで回避する度に神経が擦り減っていく。「があああっ!」 上段から大鎌を振り被った渾身の一撃を敢えて前方に踏み込み、懐に入るようにして躱す。そのまま空振りをした硬直状態の悪魔の身体を駆け上がり、眼前で左拳を振り被る。「格闘術、紅蓮爆炎拳!」 ドゴオオオオオオッ!!! 炎の魔力を纏った高熱の拳が炸裂すると同時に頭全体を巻き込んで爆発した。衝撃で痺れる拳の代わりに、悪魔は後方へと後退る。「ぐはあああああっ!」 それでもまだこの悪魔侯爵は倒れない。やはり高位の悪魔だけあって相当に打たれ強く頑強であ
「あ、戻って来た。カリナちゃーん!」 死者の間の祭壇から帰還して来るカリナを見つけたエリアは、カリナの方へ向かって手を振った。「もう用事は済んだのか?」 ロックは口に何かを入れた状態で、手にはサンドイッチが乗せられている。「ああ、一応な。ってなんだ、食事中だったのか」 持ち込んだ食材をセリナとアベルが料理している。それをヤコフを含めた他の面々が食べているところだった。エリアもアイテムボックスから次の食材を取り出しているところだった。NPCであっても冒険者はアイテムボックスを使うことができるのかということをカリナは初めて知った。 確かにこの迷宮に挑むとき、彼らは大した荷物を持っていなかった。それはこういうことだったのかとカリナは得心した。「食事は簡単なものだが、一応拘ってやっているんだ。冒険中には腹が空くこともある。食べるってのは活力を回復させるのには一番だからな」「そういうこと。まあそんなに手の込んだ料理は作れないけどね」 アベルとセリナは起こした火の上で薄い肉や野菜を焼いて、それをパンに挟んでいる。最初にロックが手にしていたのはこれだったのかとカリナは知った。そう言えば、もう迷宮に入ってそれなりの時間が経つ。昼を回っている頃だ。カリナは自分も多少小腹が空いていることに気付かされた。「ほら、カリナ嬢ちゃんも食べな。飲み物はお茶を沸かしてある」「そうだな、お前達が食べているのを見ていたら小腹が空いて来た。じゃあ頂こうかな」 アベルからサンドイッチとお茶を受け取り、地べたに座り込む。簡単な食事だが、活力が湧いて来るのを感じる。現実の冒険であれば当然のことだが、途中で補給を行う必要がある。VAOがゲームのときにはなかった現実的な問題である。これも世界が変わった影響で、今後もこういった発見があると思うと、カリナは内心ワクワク感が湧き上がって来るのを感じた。「ヤコフ、ちゃんと食べているか?」「うん、さっき貰ったから食べたよ。美味しかった」「そうか、良かったな」 魔物をヒルダが一掃したので、辺りにはもう何の気配もない。時間が経てばリポップすることになるのだろうが、暫くは問題ないだろう。渡されたカップに注がれたお茶を啜りながらカリナはそう思った。 食事を終え、少し休憩した後、一同は地底湖のある階層に進むことに決めた。普段は何も出現しない、鍾乳洞
迷宮の扉を開けて中へと入ると、地下へと続く広い通路に階段がある。そこを降って行くと迷路の様に広がる巨大な階層へと到達した。 VAOの頃からこの迷宮は地下7層まである。その下には地底湖が広がっていて調度良い休憩場所にもなっていた。そして7層にある死者の間には巨大な鏡があり、そこでは死者に会えるという設定があった。ゲームの頃にはただの設定だったが、今や現実となったこの世界では、本当に死者に会えるのかも知れない。カリナの目的の一つは、その鏡の前で過去に死に別れたある女性との再会が可能かどうかを確かめることだった。 一行が迷宮を進んで行くと、前方から魔物の気配が近づいて来た。「おいでなすったぜ、死者の迷宮の定番。グールにスケルトンだ」 ロックがそう言って二刀のナイフを抜く。他のメンバーも戦闘の準備に入り、襲い来る魔物達をなぎ倒していくのだが、カリナは後方でヤコフの側に白騎士を待機させて眺めていた。「張り切っているなあ。このままでは私の出番はないかもしれない」「カリナお姉ちゃんも戦いに参加したいの?」「うーん、あのぐじゅぐじゅしたアンデッドに関わりたくはないのが本音かな……。できれば触りたくない、臭い」 現実となった世界では、この死者の迷宮内部の腐臭は酷いものだった。鼻がひん曲がりそうである。アンデッドが湧き続ける限り、この悪臭が続くのかと思うと、気が遠くなりそうになった。それにこのまま素直に正攻法で攻略していては時間がかなりかかりそうである。ヤコフの両親の安否も気になるため、カリナは一気にこの迷宮の魔物を掃除することに決めた。 その場で両手を広げ、魔法陣を展開させて詠唱の祝詞を唱える。「遥かヴァルハラへと繋がる道を護る者よ、炎を纏う戦乙女よ、その姿を現せ!」 重ねた魔法陣が地面へと移動し、そこから白いロングスカートに全身鎧を身に纏った戦乙女、ワルキューレが姿を現した。「お久し振りでございます、主様。ワルキューレ、ヒルダ。ここに参上致しました」 戦闘を終えて戻って来たシルバーウイングの面々も初めて見る召喚魔法とその召喚体の美しさに目を奪われている。「ああ、久し振りだな。どうやら長い時間お前達を放置してしまったみたいだ。申し訳ない。いつの間にか時が流れていたみたいでな」「いえ、こうしてまた呼んで頂き光栄でございます。さて、此度の御用は如何なもの
宿の女将さんに教えてもらった防具屋に着く。まだそれなりに早い時間帯だが、その店は既に営業を開始していた。入り口の扉に「OPEN」と書かれた札が掛けられている。カリナがヤコフを連れて店に入ると、店の店主が声を掛けて来た。「おや、いらっしゃい。こいつは可愛らしいお客さんだ。もしかして冒険者なのかい?」 店主はどうやらドワーフのようで、恰幅の良い体格、言い換えればずんぐりとした小柄の体格に顔には立派な髭を蓄えていた。手先が器用な種族で鍛冶や生産などにその能力を発揮する。ゲームプレイヤーなら誰もがある程度は知っている知識である。 その店主は、まだ幼さが残る少女が小さな子供を連れて来たので驚いたのだろう。「おはよう。店主、済まないがこの子に合う防具を見繕ってくれないだろうか?」「まあ、客の要望だから応えさせてもらうが……。こんな子供を冒険にでも連れ出すつもりなのかい?」「少々訳ありでな。この子のことは私が守る約束だが、万が一に備えてね。どうかな?」「ふむ、客の事情には深入りはせん主義だ。子供でも着れる軽い装備を準備しよう」「話が早くて助かるよ」 店主はヤコフの身体をごつい手で掴み、素早く寸法を測り終えると、身体に合うサイズの軽いレザーアーマーを着せてくれた。頭にもなめし皮で作られた頑丈な皮の帽子の様な兜を被せた。さすがドワーフだけあって、皮の製品であっても硬く、防御性能は高そうである。この装備に依存する展開が来ないことが一番だが、念には念を入れてのことである。「これでどうだ? ウチでは一番小さいサイズだが、かなり硬くなめした皮で作っているから、多少の攻撃ではびくともしないはずだ」 鎧と帽子を身に付けたヤコフが鏡の前で自分の姿を見て確かめている。「すごいね、これ。硬いのに軽いから着ていても全然苦しくないよ」「そうか、ならそれにしよう。店主、値段は幾らだろうか?」「そうだな、本当は二つ合わせて8,000セリンだが、サイズが合う人間がいなくてな。もう売れないと思っていたから5,000に負けておくよ。それでどうだ?」「わかった、それで十分だよ。ありがとう」 カリナが代金を払うと、店主から「まいどあり」という言葉が返って来た。こういう店での定番のやり取りである。「良い買い物ができた。また機会があれば寄らせてもらうよ」「おう、気を付けて行ってきな」